2012年11月30日

フランス旅行を振り返って

大変遅くなりましたが、9月のフランス旅行の総括を書きたいと思います
ということで、フランス、本当に楽しかった。
IMG_31832008年の英国も、2010年のアイルランドも、言うまでもなく、楽しかった
ただ、これらは元々思い入れがある国々なので、どんなことがあっても、楽しく、有意義になることは保証された旅だった。
しかし、フランスに対しては、何の思い入れもなく、それどころか、「意地悪なんでしょ?」という偏見しかなかった。
申し訳ないが、正直、食べ物以外、まったくと言って良いほど期待をしていなかった。
「期待をしない」
これって、相手が国であれ、人であれ、非常に失礼な態度だ。
にもかかわらず、このフランスという国は、この平たい顔族を、とても快くもてなしてくれた
南仏は田舎なので、まだわかる。
しかし、パリも、多少驚いたことはあったものの不快なことはほとんどなく、色んなことをたっぷりと学ばせてもらった
僕の場合、街の美しさにときめいたとか、そういったことはない。
それよりも、「どうせ意地悪なんでしょ」という偏見を持ち、警戒心を抱いていた「人々」が、実は僕好みの人たちだったことに驚かされた

IMG_3280パリは、やはり芸術と哲学の街だった。
今でさえそう感じるのだから、黄金期(1920年代頃?)は、どんなに凄かったのだろう。
先日、「パリで逢いましょう」(BS日テレ)という番組で、ようやく6区(サンジェルマンデュプレ界隈)が紹介された。
番組の中で画廊を経営している女性がこんな発言をしていた:

「私は芸術家たちを守る役割を果たそうと思ったのです。
芸術家には支持者が必ず必要でその数はいつも足りません。
アーティストは常に王様の道化の役
転機が訪れ作品が価値を得ると素晴らしい
しかしそうならないと芸術家はとても厳しい」

こんな言葉をさらりと言う
パリジャン、パリジェンヌは、自分の言葉を持っている。自分の哲学を持っている。
「正しい?間違っている?それって、誰にとって?それは、誰が決めるの?」
「私にとって正しいと思う哲学を持つこと。それを磨き続けること。それが私の人生を生きるということ」
パリ人は、そんな風に生きていると感じた。
そして、その哲学を研鑽し合う場所が、カフェ。IMG_3297彼らはそこで大いに語る。
彼らにとってカフェは人々が絆を作る場所。
自分の言葉を持っていること、それが何より大切で、それをひけらかす必要はないかもしれないが、求められればいつでもご披露できる。それがある種、パリ人としての心得なのだ。
で、ふと思い出したのが、「俺は、おしゃべりが好きなんだよ」というアーノルド(パリのタクシードライバー)の言葉。
日本の場合、おしゃべり好きな男って、どこか軽薄で信用のならない男というイメージがある。
なので、僕もアーノルドがそう発言した時に、どう思えば良いのかが分からなかった。
でも、今にして思えば、あの発言は、
「こう見えても、俺もパリジャンの端くれ。俺だって、俺の言葉を持ってるんだぜ」
という良いイメージのアピールだったんじゃないかと
日本では寡黙な方がプラスのイメージがあるが、パリでは大いに語り合うことこそ互いの哲学の研鑽につながるのであって、語らないのであれば、その哲学がどんなに素晴らしいものであっても単なる宝の持ち腐れ、もっと言えば、「ケチな男」でしかないのかもしれない。

IMG_3285おそらく彼らは、
「言葉」を
「言葉が持つ力」を
信じているんだと思う。
「言葉を磨けば、より正しい、より美しいところへたどり着けるはず」と。
いや、言葉というより、彼らは「フランス語」を信じているのかもしれない
僕はまったくフランス語を話せないので、憶測でしかないのだが英語が物事を説明するのに適した言語で、マニュアルを書く上で誤解を生み難い言語とされているのに対し、フランス語は、哲学を語るのに最も適した言語なのかもしれない。
人は、考える時に言語を使って思索を深める。
その奥の奥を掘り下げていくのに、フランス語はとても適しているのでは?!
人は、思い込み一つでいくらでも幸せになれる生き物なわけだから、その言葉が美しく響けば、それだけで幸せになれる。
正確な表現よりも、より含みのある、幅のある、詩的な表現の方が、夢があったり、楽しかったり、実は、正確に伝えられるのかもしれない。

IMG_3314パリ初日の後編の感想で書いたように、日本的視点からすると、フランス社会には一見不親切に思われるところが多々ある。
しかし、日本のように、何でもかんでも先回りして教えていては、「教えてもらうのが当たり前」という甘ったれが増えてしまう危険性がある。
もちろん、あらかじめ教えておく方が効率は良いだろう。
しかし、「効率よりも優先すべきことがある」ことや、「便利 ≠ 豊か」といったことを社会全体が忍耐強く教えているんだとすれば、ある意味、フランスの方が親切かもしれない
人間から「考える機会を奪う」ということは、「人間を奪う」ということ。
人間を奪うとは、「為政者に都合の良い奴隷を作る」ということ。
そんなことは絶対にあってはならない彼らはそう考えているのかもしれない。
褒め過ぎ?(^^
ただ、フランスはかなりの学歴社会で、ガシガシのエリート官僚社会らしいんよね、これが。
IMG_3308なので、王政時代と「軸」はまったく異なるものの、ヒエラルキーは今も顕在!
だから、いつかまたフランスで革命が起こったとしても、「軸」が変わるだけで、同じようなヒエラルキーが構築されるような気がする
エリートと一般庶民との格差には当然不満はあるだろうが、ただ、ある程度、庶民の方もこのヒエラルキーを容認している気配がある。
もしもフランスの民衆の大半が「これは絶対におかしい!」と判断したならば、彼らはその社会を簡単にひっくり返す力を持っているだろう。
日頃から哲学を磨いているのは、言わばそのためだもの!?
ただ、不平不満がまったく存在しない社会なんてあり得ないので、何かしら代替のビジョンがなければ、闇雲に現体制をつぶしたりはしないだろう。

それと、なんとなくだが、立身出世にやっきになっているという雰囲気も感じられなかった。
「諦めている」というわけではなく、「身の丈で生きるのが幸せ」というスタンスなのかなぁ。
また、若者が自由を謳歌しているという空気もあまりない。
学生はひたすら勉学に励み、職に就いた若者はひたすらその道で精進する、そんなイメージ。
何であれ、自らの役割みたいなものを見出し、それを全うすることが美しい、そんな価値観を感じた。
また、社会が若者に媚びるような空気はない。
どちらかというと、「未熟者は黙っていなさいね」という印象。
だから大人から見て「つまらない」、「みっともない」というものは、なかなか流行らない。
なので、もしかすると、フランスに棲む日本のオタク文化やカワイイ文化を愛する若者たちは、そういったフランスの大人社会に対するレジスタンスなのかもしれない?(^^

IMG_3342「言葉は存在の家」これはドイツの哲学者ハイデガーの有名な言葉だが、フランス人には「哲学こそが私の家」という表現が一番シックリくるのではなかろうか。
彼らにとって「哲学」は、自らの生命を守るために自らが構築し、より豊かに、より美しく、より心地良く暮らしていくために、死ぬまで増改築をし続ける、「家」なんだと思う。
故に、その家を豊かに彩ってくれる芸術や芸術家を大切にする人々が多いのも、頷けるところ。
「芸術の街パリ」という言葉があるが、これは、素晴らしい芸術がたくさんある街という意味ではなく、素晴らしい芸術の理解者がたくさん住んでいる街と理解した方が良いだろう。
また、以前、村上春樹が「芸術は、非日常」といったようなことを書いていたが、ことパリにおいては、これは当てはまらないだろう。
だって、パリにおいて、芸術は「日常」だから
うーむ、褒め過ぎか?(^^
サービス、サービス(^^

IMG_3364ところで、『フランス人は意地悪』という僕の偏見はどこから来たのだろう。
根も葉もない!?
うーん、実はそうでもない
そうは言っても、フランス人は、やはり上から見ていると思う。
隣国を、他国を、異国の人々を
英国だって、同じように上から見たい国なので、仲がよろしくないのも分かる。
「英国紳士」という言葉があるが、そもそもこれは帝国主義で好き放題にやり過ぎて、隣国に嫌われまくったので、これではまずいだろうと、軍事力や経済力とは別の「イメージの力」(人気)に着目し、英国がでっち上げることにした戦略上の虚像とも言われている。なので、英国紳士も、日本の忍者と同じで、存在しない!?(失礼、忍者は実在したので、例えとしては良くないか(^^)
意地悪な見方をすれば、英国紳士だの、エスプリだのは、「他より上に立ちたい」「上から見下ろしたい」という貴族たちの見栄っ張り文化の成れの果てに過ぎないのではなかろうか
おっと、それは言い過ぎだろう(^^
ただ、「嘘も突き通せば...」ではないが、彼らの立ち居振舞いは、一級品だった。
そこら辺はやはり、幼い頃から叩き込まれてきた「マナー」への意識が大きいんだと思う。
フランスのテレビに出ていた芸能人?セレブリティ?は、とても胡散臭かったが笑顔だけは、皆、独自に磨き上げたものを持っていた。
これを獲得するための日々の努力は、外面的な施術ではなく、内面的な思索をし続けることそういう意識が強く感じられた。
だからだろうか、若者は所詮小僧で、高齢の方の笑顔やウインクは、とても味わい深かった。
また、一般的に、「フランス人は無愛想」と言われるが、僕は一切そんな風には感じなかった。
ただ、愛想笑いにも、心のあるものとないものがあり、彼らはそれらを見抜く力に大変な自信を持っているように感じた。
なので、「心がない」と見抜かれるくらいなら、笑わない方が良い。
つまり、無愛想とは、無駄な抵抗をしないという態度かもしれない。
IMG_3375ただ、彼らが無愛想な態度を示した場合、大抵の場合、その理由は、当人が無愛想な人だからではなく、その人にとっての対峙者に原因があると考えた方が良い気がする。
つまり、もしも自分が無愛想にされたなら、その原因は自分にあると考えた方が良いかと!
というのも、「私たちフランス人は、マナーをきちんと守る方に対しては、決して非礼な態度は取らない」という絶対的なプリンシプルがあるように僕は感じていた。
だから、もしも彼らが心ある愛想笑いをくれなかったなら、自分自身に非礼があったと考えた方が良いかと僕はそう考えて行動するようにした。
なんとなく、京都の文化に近いのかな。
そう、明らかにパリは、東京ではなく京都だと思う。
そもそも文化って非合理なものなわけだから、単純には理解できない。
しかし、そこに至るまでの何かがあったに違いないのだ!
だから、それを知らぬ者が偉そうに意見するなんてのはお門違いというもの

IMG_3356ここまで、フランス社会に潜在する?顕在する?哲学を随分と褒めてきたが、ただこれも「諸刃の剣」であることを忘れてはならない。
個人的な哲学ならいくらでも好きにやって結構だが、これが「思想」に発展してくると、宗教のような影響力、いや、宗教よりも、論理的な分、爆発的な暴走力があるので大変危険でもある。
18世紀、信仰よりも理性を重視する啓蒙思想が発達した。
この啓蒙思想がフランス革命へと導いた。ま、これ自体は悪くはないだろう。
しかし、この啓蒙思想は合理主義を邁進させ、挙げ句の果てに、「黒人は理性を持たない『半人間』なわけだから、より理性的な白人が合理的に奴隷化することは間違いではない」というところまでいってしまったという過去があるだけに、恐ろしい。
当時、フランス社会が、いや世界が、そのように洗脳されていたかと。
もっとも、これは思想自体のせいというより、その思想の理屈を利用した悪い輩がいた、ということなのだろう。
当時一流の文化人たちも、今から見れば、野蛮人。
現代人も、未来から見ればまだまだ野蛮人だ。
IMG_3332僕自身は、間違いなく野蛮人(未開人?!)だが、その野蛮人でも、旅を楽しむ心得にはちょっと自信がある
その秘訣は、自分の実年齢が何歳であろうと、海外において、自分は「子ども」と心得て行動すること。
だって、その国の常識も、社会的通念や約束を知らないのだから、まさに子どもだろう。
その上、言葉も上手く操れない。
だから、生意気な態度は絶対に禁物
子どもは子どもらしく、濁りの無い目で見つめて接すべし!
すると、自然と周りの大人は良いものを与えようとしてくれる。
それが人間という生き物なのだ。
楽しそうな子どもの周りには、楽しいことが集まってくる。
これは洋の東西を問わない。
良い笑顔を見せれば、必ずその人がこれまで鍛えてきた機知と笑顔で応えようとしてくれる。
もちろん、全員が全員、善人とは限らない。
しかし、こちらが、真っ正面から向き合い、相手に敬意を持っていることが伝わると、よっぽどの悪人でない限り、それに応えようとする傾向は格段に高くなる
先にマナーの大切さを書いたが、実はマナーとは作法ではなく、対人間に対する態度、気持ち、そのものなのだ。

IMG_3287先述したように、僕は「フランス人は無愛想」と感じなかった。
実際、まったく感じなかった。
逆に、とても愛想が良いと感じていた気がする。
英国人と仏国人を比べると、一見英国人の方が親切に思えるが、僕の場合、英国人には、内的な距離が感じられた。
うーむ、こんな風に思うのは僕だけかなぁ....
例えば、ロンドンで道に迷っていたら、道を教えようとしてくれる親切な人はたくさんいるかもしれない(嘘を教えられるかもしれないが
しかし、パリの場合、自分から教えてくれようとするパリジャン、パリジェンヌはまずいないだろう。
しかし、こちらが失礼のない態度で質問をすれば、必ず教えてくれる(もちろん、知っていればだが)という雰囲気を僕は感じていた。
それどころか、ウマが合えば、一緒にカフェに入ってお話しでもして、お友達になれそうな感じさえあった。
何というか、共通の価値観を見出せた瞬間に、異国人同士の間にある見えない壁を、英より仏の方が遥かに簡単に取り除いてくれそうな、そんな気がした。
おそらく、この感覚の発見が、僕にとってとても意外だったのだと思う。

IMG_329120歳の頃、僕は「コスモポリタン」という言葉に初めて遭遇し、「へ〜」と思った記憶がある。
ウィキペディアの説明を拝借すると:
「コスモポリタニズム(cosmopolitanism)とは、全世界の人々を自分の同胞ととらえる思想。世界市民主義・世界主義とも呼ばれる。コスモポリタニズムに賛同する人々をコスモポリタンと呼ぶ。」
この言葉が生まれた歴史的背景も知らなければ、その思想のイズムを拡散していきたいとか、そういった気持ちは一切ない20歳の子どもの僕は、「これに成ろう!」と思った記憶がある。
なぜ?
だって、「なんかカッコよさそうじゃん
おそらく「世界に通用する!」といったニュアンスを抱いたのだろう。
しかしながら、コスモポリタンというのは職業ではないので「なる!」と言ってもあまり意味はないし、また「なった!」という実感を抱くのもかなり難しいような....。
そんな希望?展望?方針?指針?を抱いたことなんかすっかり忘れていたけど、まるで捨て去られた宇宙探査機が軌道上を飛び続けていたようにその最初のベクトルは変わることなく、僕の哲学の軸になっていたんじゃないかと思う。
僕は人生の様々な場面で「これは、コスモポリタンへの道に反しないか?」というチェックをし続けてきたんだと思う。
IMG_2086....なるほど!
ようやくここに来て分かった!
これまで僕は一体何が書きたくて、ダラダラとこの旅の感想を書いているのか自分でも分からなかったのだが、ここにきてようやくその理由が分かった!!
僕は、嬉しかったのだ
僕は、パリで、多くのコスモポリタンに出会えたのが、嬉しかったのだ!
なんとなく、パリよりNYの方がコスモポリタンのイメージがあるが、どうもあそこはコスモポリタンが棲まう街というより「現実的な成功を夢見る者が集う場所」といった印象が強い。
パリの方が、遥かに成熟したコスモポリタニズムが感じられ、大袈裟に言うならば、初めて同胞に遭えた感があったのだろう
なるほど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いや〜スッキリした
しつこく考えて良かった
IMG_3366あ、別に多くのパリ人たちが、コスモポリタンになろうという意識を強く持っているとか、そういう意味ではありませぬ。
彼らから感じた、より普遍的な価値観を見出し、それを自分の中で磨きながら生きるという哲学、これが僕が勝手に作り上げた「コスモポリタン道」と似ていると感じたというだけ。
それを各自がコッソリというのではなく、エスプリでもってチラ見せしながら研鑽を重ねているというのが羨ましいなと。
ただ、先にちょっと触れた様に、フランス共和国は、少数のエリートが牽引して成立している国。
国民の本来の気質としては、「気ままに生きたい」というのがあるようなので、それを実現するためにエリートたちに頑張ってもらっている、という見方も出来るかもしれない。
「自由」、「平等」、「友愛」をモットーとしているが、「自由」より「平等」の方がプライオリティが高いという。なぜなら、「自由」なら何をやっても良いということはなく、「平等」を脅かすことは許されないのだ。
そんなに平等意識が強いのなら、エリートへの不満はさぞかし強いんじゃないかと思うのだが、「その分やってくれるのなら良しとする」という現実的な考え方もあるようだ。
平等というもの、絶対的な平等というより、機会均等ということに重きを置いているのかな。
飽くなき理想を追求する姿勢を見せながら、実は滅茶苦茶現実主義だったりする。
つまりは、したたかな国だわ。

さて、最後にこちらの写真をアップしませう。
IMG_0261「カロリーヌとゆかいな8ひき」というこれまでに30巻近く出版されている絵本。
著者はピエールプロブスト(1913-2007)。
もちろん、フランス人
フランスとの心情的な接点はないと思っていた僕だけど、小学校の低学年の頃、図書室でこのシリーズをよく読んでいたことを思い出した。(一番のお気に入りは「カロリーヌうみへいく」
「ゆかいな8ひき」とは、犬3匹、猫2匹、ひょう1匹、ライオン1匹、熊1頭の動物たちなのだが、とにかくこの子らの自由奔放ぶりには、子どもの自分でも常にハラハラドキドキさせられた。
が、それでいて愛おしく思えるところがあり、とても不思議だった。
また、一人だけ人間であるカロリーヌも、親分のくせして、かなりの監督不行き届きで、フランス人そのもの
もしかすると、この本が好きだったから、僕はフランス人たちを愛らしく思えたのかもしれない。
今更だけど
ありがとう「カロリーヌとゆかいな8ひき」(まさかこれが〆の言葉になるとは

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waits2 at 21:54コメント(2)トラックバック(0)フランス旅行 | 旅行 

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コメント一覧

1. Posted by お   2012年12月02日 20:14
カロリーヌにここで出会うとは!うれしいな。
現在新版でシリーズの本がたくさん出てますが
私が持ってるのが「小学館オールカラー版世界
の童話」シリーズで、昭和44年発行などのを3
冊ほど。大好きで今も宝物としてしまってあり、
娘が小さいときにも、無理矢理読ませました!
最後の写真は、「みちしおで岩の上に取り残さ
れたユピー」ですね。この作品も持ってる本の
中に入ってました〜。
ちなみにボビーが大好きでした。
考えてみたら、カロリーヌ達って、コスモポリタン
な感じがします・・・・。
2. Posted by Tatsuya   2012年12月03日 09:05
コメントありがとうございます!>お、さん
お!「カロリーヌ」ご存知で!
嬉しい限りです!(^^/
お持ちなのは、初版、もしくはその次くらいのシリーズですね。
そうです、最後のは置き去りにされたユピーです(^^
「こんなのアップしても、誰も、何も思わないだろうなぁ」と思っていたのですが、いやー、嬉しいです!
そうですね、カロリーヌ達は、コスモポリタン軍団ですね(^^
ともすれば、宇宙人に近い感じもしますね

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