2013年01月22日

BS歴史観「ローマの休日」"赤狩り"の嵐の中で

もう、随分昔になるんだけど、以前、BS歴史館で「ローマの休日」を取り上げた回があり、とても面白かったので、これまたリマインダーとして書き留めようかと思う。
番組の進行に従って書くので、読み難いかと思われますが、ご容赦を

以下が番組の内容(2011/5/21放送)
**********************
IMG_0488邦題:「ローマの休日」(1953年)
原題:Roman Holiday
アカデミー賞:主演女優賞
      :オリジナルストーリー賞
脚本家:ダルトン・トランボ(1905-76)
共産主義者としてハリウッドを追放された。
監督:ウィリアム・ワイラー(1902-81)
赤狩りに抵抗する運動の先頭に立った男。

ハリウッド100年を代表するラブストーリー「ローマの休日」。
その裏側に、アメリカの闇の歴史が刻み込まれていた。
第二次世界大戦後、赤狩り(共産主義排斥運動)が激化。
その最初の標的にされたのが、ハリウッドの映画人たちだった。
番組は、この感動の名作に刻まれた「赤狩り」の闇と製作者たちの秘められたメッセージに迫る。

IMG_0461多くの人に愛される名作ではあるが、あまりにベタであるため「甘っちょろいロマンス」と言われることもある。
一般的に、この作品と赤狩りとの関わりはあまり知られていない。
公開当時の脚本家のクレジットは、イアン・マクレラン・ハンター(Ian McLellan Hunter)だったが、後年、本当の脚本家が別にいたことが判明する。それが、ダルトン・トランボ。ハンターは、トランボの友人の名前。
友人の名を使っていた理由、それは赤狩りによってハリウッドから追放されていたからだった。

赤狩り(アメリカ国内の共産主義排斥運動)の背景:
1929年:
世界恐慌。フランクリン・ルーズベルト大統領は、ニューディール政策を実施。公共事業による雇用拡大、労働者の待遇改善といった、社会主義的政策で恐慌を乗り切る。
1930年代:
アメリカ共産党員が7万人を超え、勢力を拡大。資本主義経済の弱点が認識され、貧富の差を無くそうとするソビエトの政策に可能性を感じる人々が増えていった。
1944年:
トランボ 共産党に入党。
1945年:
第二次世界大戦終戦。戦後、ソビエトは経済的、軍事的に台頭し、東ヨーロッパの国々が社会主義化し、共産主義の脅威が現実になっていく。
1947年3月11日:
トルーマン大統領は、共産主義封じ込め政策である「トルーマン・ドクトリン」を発表。

米ソ冷戦が始まる。
赤狩りの急先鋒を担ったのは、非米活動委員会。
その最初のターゲットとされたのがハリウッド。
当時、トランボは売れっ子の脚本家で、脚本家組合のリーダーでもあった。

1947年9月:
トランボへ非米活動委員会から召喚状が届く。
1947年10月:
非米活動委員会による公聴会が始まる。
第一週は、共産主義反対の立場の保守的な有名スターを召喚(ロナルド・レーガン、ゲーリー・クーパー等)し、マスコミの注目を集める。
第二週は、共産主義者の疑いをかけられた映画人たち。
後に、「ハリウッド10」と呼ばれる彼らの一人が、トランボだった。
IMG_0462
公聴会:
「あなたは共産党員だったことがありますか?」
「あなたはいかなる理由でその質問をしているのですか?」
トランボは、ユーモアを交えながら自白を巧みにかわす。
「私には質問の根拠を知る権利がある。あなたはいかなる権利を持っているのか?」
共産主義であることを認めれば、職を失う。しかし、共産主義でないことを認めれば、思想信条に反する。
トランボたちは、証言をしないことで赤狩りに抵抗した。
やがて、ハリウッド10を非難する者と、応援する者とで、ハリウッドは分断される。

IMG_0463ウィリアム・ワイラー監督は、共産主義と距離を置いていたが、赤狩りに反対し、ハリウッド10を真っ先に応援した一人だった。
ワイラーは、有名スターたちと抗議団体を設立。(カーク・ダグラス、ジュディ・ガーランド等)
思想と言論の自由を保障する憲法に反するとして、抗議を呼びかけた。
「非米活動委員会こそ、非アメリカだ!」

しかし、事態は一変する。
1947年11月:
アメリカ下院は、証言を拒否したとして、ハリウッド10に議会侮辱罪を可決。
すると、映画製作者協会は、赤狩りへの協力を表明:
「ハリウッド10が共産主義者ではないと表明しない限り、誰であろうと雇用しない」
トランボらはキャリアの絶頂期に、ハリウッドを追放される。
非米活動委員会に逆らえば、有名スターも解雇され、社会的に抹殺される。
ワイラーが信じた憲法の理念は踏みにじられた。
(ちなみに、共産主義者に対して最も強い反対をした一人は、ウォルト・ディズニー)

戦時中は、「ファシズム 対 共産主義+資本主義」という構図だったので問題なかったが、戦後、冷戦が進むにつれ、政府は、トランボが共産主義的映画を作り、人々を洗脳することを恐れていた。

その後、共産主義者ではないことを証明しなければならない、仲間の名前を言うことを求められる「密告の強要」が行われるようになる。
共産主義に反対する過程で、共産主義と同じことをしているではないか!」というのが、ワイラーを初めとする共産主義をとらないリベラルが、赤狩りに反発する理由。

ハリウッドを追放されたトランボは、どうやって「ローマの休日」を書いたか。
IMG_0465ダルトン・トランボ:
1905年:
コロラド州に生まれる。
1935年(30歳):
アシスタント・ライターで映画界へ。求められた通りに仕上げられる職人。
1939年(34歳):
「ジョニーは戦場へ行った」(小説)で成功を収める。

1949年:
ソビエト原爆実験成功によりアメリカの軍事的優位が脅かされる
米ソ冷戦の下、赤狩りは激しさを増して行く。
その中心人物ジョセフ・マッカーシー上院議員の名から「マッカーシズム」と呼ばれる。
1952年:
共産主義者とされた人のブラックリストが作成される。

密告や偽証までが横行し、300名以上の映画人が追放される。
しかし、トランボは、架空の名前で脚本を書き続けた。
「ミラード・カウフマン」や「ベン・エル・ベリー」といった偽名で、B級映画を手がけながら、ハリウッド復帰を目指す。

当時のトランボの想い(トランボの長女ニコラ・トランボさんの証言)
トランボは、自分自身の境遇を嘆くことはなかった。
彼が本当に怒っていたのは、密告者が横行するハリウッドに対してだった。
自分が助かりたいために、無実の人の名を告げてしまう。
密告を恐れ、古くからの友人同士が、ある日突然、口をきかなくなる。
本当に痛ましい時代だった。
そんな赤狩りの嵐が吹き荒れる中、1948年頃、トランボは、「ローマの休日」の執筆を始めた。
この時、親友の脚本家である、イアン・マクレラン・ハンターの名を借りた。
これは非常に危険な行為なだけに、秘密を漏らさない固い信念が必要だった

親友の力を借りて映画化を目指した「ローマの休日」。そこにトランボは、どんな想いを込めたのか!?
映画のストーリーに、トランボ自身の変化が投影されている。(伝記作家のハンソン氏談)
トランボは、富と名声を犠牲にして偽名で脚本を書く中で、本当の役割や使命に気付く。
それは、アン王女がブラッドリーとの幸福を犠牲にして、国務に戻ることとどこか似ている。
「私が義務をわきまえていなかったら、今晩、帰っては来なかったでしょう」(アン王女の台詞)
アン王女は恋や自由を経験したことで、国務への責任を持つ自立した存在へと成長を遂げた。

1950年6月:
アメリカ最高裁はハリウッド10に実刑判決を下し、トランボは10ヶ月間投獄される。
名声や財産を犠牲にしても自らの意志を曲げなかったトランボ。
「ローマの休日」は、彼の静かな闘いを貫くための心の支えだったかもしれない。

IMG_0489トランボの実像
・クリスマス好き
・バスタブで脚本を書く人
・刑務所に入る前に稼いでおくことを決意
・コメディこそ反骨魂

最初はお金目当てで作り始めたのだが、少女から女性に成熟するアン王女を描きながら、監獄に行くしかないという自分の運命を引き受けるトランボ。
赤狩りという困難に直面することにより、脚本家としての力を伸ばしていく。

IMG_0469一方、ウィリアム・ワイラー監督は、当時、既に名匠だった。
アカデミー監督賞ノミネート12回、受賞3回は未だ破られてない記録。
「ローマの休日」の映画タイトルに、次の様なクレジットを入れている。
「撮影そして編集のすべてをローマで行った」
スタジオ撮影が常識の時代、「ローマの休日」はハリウッド映画史上初の全編海外ロケで行われた作品だった。
しかし、その分、予算が削られ、モノクロ作品となった。
そうまでして全編ローマ・ロケにこだわった理由とは?

IMG_0475ウィリアム・ワイラー:
1902年:
アルザス地方に生まれる。アルザスは戦争の度にフランスやドイツ領に変わる複雑な地域であり、国際情勢が複雑で常に陰謀が渦巻いていた。そういった場所で生まれ育ったワイラーにとって、アメリカこそが、平和や平等を象徴する理想の国だった。
1920年:
アメリカ移住(18歳)
1942年:
「ミニバー夫人」でアカデミー賞 作品賞、監督賞を受賞。
1946年:
「我等の生涯の最良の年」アカデミー賞 作品賞、監督賞を受賞。
共産主義弾圧を批判。
この映画の翌年、赤狩りがハリウッドを襲う。
1947年:
赤狩りの抗議運動で挫折
効力を発揮できなかったことに失望。
しかし、映画監督として、赤狩りと闘う別の方法を探した。
1951年:
「ローマの休日」の監督を引き受ける。

ところで、ワイラーは、監督を引き受ける時、「ローマの休日」の真の脚本家が誰であるかを知っていたのか!?
ワイラーの長女談:
撮影当時も、それ以降も、長女は"ハンター"がシナリオを書いたと思っていた。しかし、明らかに、父、ワイラー監督は、真の脚本家は"トランボ"であることを知っていたという。公になれば、深刻な問題になるので絶対に口にすることはなかった。

監督となったワイヤーは、映画会社が決めた製作条件を次々と覆していく。
IMG_0490ワイラーの条件1:「キャストの変更」
当初、主役はケーリー・グラントとエリザベス・テーラーだった。それを、グレゴリー・ペック(グレゴリー・ペックは、赤狩りの抗議団体にいち早く参加した俳優だった)に変更し、オーディションでオードリー・ヘップバーンを発掘した。オードリーは少女時代、ファシズム政権下で秘密裏にレジスタンスを支援していたことをオーディションの面接で語っている。

ワイラーの条件2:「全編 ローマ・ロケ」
スタジオ撮影を条件にしていた映画会社もワイラーの粘りに譲歩。
しかし、予算の関係でカラーがモノクロ映画に。
カラー映画をあきらめてでも、ローマ・ロケにこだわった理由、それは、ハリウッドを追放された人々と仕事ができる唯一のチャンスだったから。赤狩りに対する彼なりの闘いであり、希望だった。

1952年夏:
ローマで撮影開始
スタッフのほとんどがイタリア人。
ワイラーは、信頼のおける人物だけをローマに連れていった。
同行したプロデューサーは、ワイラーの右腕、レスター・コーニッグ。
彼は前年赤狩りのリストに載り、業界を追放された男だった。

ローマでなら、スタジオから注文がついても、知らなかったふりができる。
すべて、ワイラーの意のままに撮影できた。
「真実の口」のシーンは、トランボの脚本にはない、ワイラーが、自らシナリオに加えたシーンだった。
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IMG_0476グレゴリー・ベックの演技は、その場のアドリブで、オードリーの自然の反応を引き出すため、監督が仕組んだ演出だった。

ワイラーはこの場面について、後にこう語っている:
「これを映画のどこかに入れなければと思ったんだ
 二人の人間が互いにうそをついている物語だから」

赤狩りの中には、実は、ユダヤ人に対する差別がどこかにあったという。
ユダヤ人は、インテリで、左翼で、共産党じゃないかとの疑いをかけられやすかった。
ワイラーは、ユダヤ系で、共産党員ではなかったが、自分と同じユダヤ人で共産主義の疑いをかけられた人を守らなくちゃいけないと考えていた人でもある。

「真実の口」のシーンはとても意味深。
当時の赤狩りの時代、ハリウッドには、偽証で人を陥れるような酷い嘘つきがウヨウヨいた。
トランボの脚本にはなかったが、入れたくなる気持ちが「なるほど」と理解できる。

「ローマの休日」の原題は、"Holiday in Roma"ではなく、"Roman Holiday"。
直訳すると、「ローマ人の休日」。
ハリウッドが息詰まる空間になっていた時、ローマは自由な映画活動ができるところだった。
ハリウッドを追放されている人ともここならできる。そういう、映画の自由がハリウッドで得られなかった時代の「外の世界」、それがRoman Holidayというタイトルに込められているようにも思える。

1954年:
ローマの休日が公開された翌年、全米に反共ヒステリーを巻き起こしたマッカーシーは、強引なやり方が批判され、失脚し、赤狩りの嵐が収まって行く。しかし、ブラックリスト入りした映画人の多くはハリウッドに復帰できなかった。苦しい環境の中、トランボは諦めなかった。
1960年(55歳):
「栄光への脱出」の脚本が実名で発表された。
非国民のレッテルを貼られてから実に13年後のこと。
1960年:
ソビエトとの文化交流のためにモスクワで上映されたのが、「ローマの休日」だった。
1993年:
映画公開40周年を記念して、アカデミー選考委員会は、トランボに「ローマの休日」でオリジナル・ストーリー賞を授与。夫人がオスカーを手にした。1976年にトランボは他界していた。
2003年:
公開50周年を記念してトランボの名前がクレジットされた。
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トランボさんの娘さんが涙するのは、ラストシーン。
ここでアン王女とジョーは、信頼を確かめ合う言葉を交わす。
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「いくつもの想いがこみ上げて来る。無邪気さ、そして、純真。アン王女の『人々の友情を信じる信念は裏切られない』というセリフは、父自身が語りかけているかのようです。父は、この映画から、新しいアメリカが生まれることを願っていたのです。」
IMG_0481トランボは、後年、赤狩りの時代を振り返りこう語った:
「あの時代に悪漢も英雄も聖人も悪魔もいなかった。皆、長い悪夢の時代の犠牲者だったのだ」

トランボが「私は正しかった」という言い方をしていないのが、ある種の救い。
「裏切った人も犠牲者だ」と見る視点。

トランボは犠牲者ではなかったかもしれない。
偽名を使って書いていた作品で、彼は大きな仕事をしていたから。

【番組出演】藤原帰一、中村うさぎ、上島春彦、斉藤由貴
********************
以上が番組の内容だった。

こういった背景を知ると、この「ローマの休日」が、単なる甘っちょろいロマンス映画でなかったことが判る。いや、むしろ、こういった背景がなければ、あんな甘い映画を作ることはできないのだろう。"裏"にあるメッセージが強いからこそ、"表"をどんなにベタにしてもクサくならない
この辺に創作における大きなヒントがあると感じられる。

waits2 at 20:32コメント(0)トラックバック(0)テレビ | お気に入り 

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